Red Hat Summit 2日目の基調講演

テネシー州ナッシュビル発 — 第2回Red Hat Summitの2日目である。午前中のEben Moglenの基調演説は実に素晴らしかった。適切な話し手が、適切な聞き手に対して、適切なメッセージを語っていたからだ。この日のそれまでの講演が悪かったわけではないのだが、企業マーケティングの匂いがぷんぷんするのには閉口した。

その口火を切ったのは、Red HatのチーフマーケターであるTim Yeatonだ。彼は、Red Hat Linuxとオープンソースとコラボレーションと技術革新の価値を誉めそやしたが、話の本筋はあくまでもマーケティングトークだった。彼が壇上に呼び出した3人も同様で、彼らは同じようなメッセージを何度も繰り返して、聴衆への刷り込みを図っていた。この1時間で、活用(leveraging)、機敏(agility)、技術範囲(technology dimensions)、セキュリティランドスケープ(security landscape)、セキュリティエコシステム(security ecosystem)、一般への利用拡大(democratizing availability)、アップタイムの向上(driving-up up-time)といった単語やフレーズを何度聞かされたかわからない。

これに続いたのが、IBMのCTOであるAlfred Spector博士だ。彼の話はマーケティングというよりもコンピュータ技術に関するものだったが、どこか重役会議での発言のような雰囲気があった。彼は、現在のIT業界には有望な若者が入ってきにくくなっているが、これは「33年前のUNIXはこうだった」と思い出話をする年寄りたちが業界の多数派を占めているからだ――などと説明して1人で面白がっていた(聴衆の中にも笑った人が少しはいたようだが)。

彼はオープンソースとコラボレーションと技術革新の重要性というテーマについて語りつつ、IBMとしては、オープンソースにはオープンソースの場所、クローズドソースにはクローズドソースの場所というものがあると考えていると述べた。彼の話の中で最も興味深かったのは、MicrosoftのXboxや各種デバイスを動かしているIBM製プロセッサは、Linux上でも完全に100%動作するという発言だ。

Moglen教授は弁護士であり、見た目も話しぶりも弁護士そのものだった。ベージュ色のスーツに薄いブルーのシャツ、薄いベージュのネクタイという服装をし、そこそこ背が高く、少々太り気味で、よく手入れされた立派なあごひげを生やしていた。ソフトな語り口で、わかりやすく上品に話をする姿は、まさにコロンビア大学の教授という雰囲気である。しかし、彼のメッセージはただの美辞麗句ではなく、聴衆の心に強く訴えるものだった。彼は聴衆に、フリーソフトウェアとは何か、なぜフリーソフトウェアが必要なのか、この自由は我々に何をもたらすのか、そしてどうすればこの自由を守ることができるかを思い起こさせた。

彼はまず、フリーソフトウェアによって自らの権益が脅かされる人々が無理やりフリーソフトウェアと関連付けようとしている、たいした根拠もない政治や収益性の問題を取り上げた。そして残りの時間の大半を費やして、こうした事実無根のミーム(meme)を鋭く批判し、反論し、完全に粉砕した。

彼はRed Hat社の受付の装飾について言及した。彼は1999年のRed Hatの株式公開後まもなくの時期に同社を訪れ、壁のプレートに書かれていた「すべての改革は誰かのアイデアとして始まる(Every revolution begins as an idea in one man’s mind.)」という言葉に目を留めた。彼は歴史に興味を持っており、人々が今でもRalph Waldo Emersonの言葉を覚えていて、その言葉をときどき引用したりするという習慣を好ましく思っていたため、自分もそれにならってこの言葉を心に刻み込んだ。その後15年間、彼はフリーソフトウェアの発展を担う人々の弁護士を務めてきたわけだが、この言葉の意味を今でもかみしめている。

ここに集まったRed Hatユーザたち(大半はシステム管理者、プログラマ、ITマネージャ)は、改革の中で自分が何をしているのか考えたことがないかもしれないが、Moglenはこの点をわかりやすく指摘した。「これは言うまでもなく改革であり、それが最初の一歩である。これは身近な革命と言える。あなた自身がその利益を享受し、あなた自身が解放されるのだ」。

Moglenは主に、自由とは何かと、フリーソフトウェアに元来備わっているアメリカ的伝統について語った。今では「yankee」という単語には自動的に頭に「damn」が付くか(つまりdamn yankee=くそったれヤンキー)、後ろに「go home」が続くのだが(つまりyankee go home=ヤンキー・ゴー・ホーム)、かつてはそうでない時代もあったのだということをMoglenは思い出させてくれた。実は、以前はたいてい「ingenuity(器用な、巧みな)」という単語が後ろに続いたのだと彼は指摘した。

彼はまた、かなりの時間を特許についての話に費やし、米国の法体制に特許が追加された理由を、世界で最も優秀で最も独創的な人々が米国に集まってくることを期待したからだと説明した。しかし今日では「特許制度は抑えのきかない、本質から外れた頭痛の種になっている」と語り、今日の特許がいかに技術革新と創造性を妨げているかを説明した。

この特許についての話は、Moglenが次に取り上げたトピックのちょうどよい背景知識になった。次のトピックとは、GPL3である。彼は自分が現在携わっているGPL3と、なぜさまざまな異論のある要素をこのライセンスに組み込む必要があるのかについて述べた。今日の我々が過去を振り返って、著作権の脅威から自由を守るのにGPLが貢献したと考えるのと同様に、これから15年後に振り返ったときに、ソフトウェア特許やデジタル著作権の脅威から自由を守るのに貢献したという評価を得るためには、この要素が必要だというのだ。

Moglenが話し終えると、会場中から一斉に大きな拍手が起きた。Red Hatのサイトかどこかでこの講演のビデオが公開されたら、ぜひ入手して見てもらいたい。

NewsForge.com 原文